Lesson14-2 パンコラム②

ハイジの黒パンと白パン

今となっては当たり前となった小麦粉で出来た白いパン。
実は、19世紀に製粉技術が産業化されるまで、白い小麦粉を生成するだけでも大変な苦労があったのです。

気温の低いヨーロッパでは昔は小麦を育てにくく、ライ麦の栽培が盛んでした。
さらに小麦から白い小麦粉を生成するには、多額の費用と労力が必要で、白いパンはやがて富裕層の象徴とされていきました。

アルプスの少女ハイジの物語中にも、白パンへの憧れが描かれています。

アルプスの農家に生まれたて暮らすハイジや盲目のおばあさんはいつも黒くて固いパンを食べていました。

この黒いパンはライ麦で作られており、主に農家などの一般庶民~貧困層に食されていたそうです。
黒パンは焼いて1週間も経つとカチカチに硬くなってしまうのですが、その後も保存食として食べられていました。
昔のスイスなどの農家では、ライ麦をパン屋に持っていき、1か月分のパンを焼いてもらっていたそうです。

そんなカチカチの黒パンを、シチューや牛乳に浸して柔らかくして食べるのが、ハイジにとっても主食でした。

しかしある日、ハイジは富裕層であるクララの家で白いパンを食べます。
フワフワでおいしいパンに魅了されたハイジは、おばあさんにも食べさせたいとタンスに隠しておくのですが、その後はこの白パンをめぐり切ないストーリーが展開されていくのです。

これらのストーリーからもわかるように、小麦粉で出来た白いパンはまさに上級階級の象徴でした。
今ではなかなか考えられない光景ですが、パンの色が階級をも示していたのですね。

ほどこしとしてのパン

クリスマス、サンタクロースからのプレゼントといえば、子供たちが大喜びするおもちゃをイメージする人が大半ではないでしょうか。
実は昔、パンもサンタクロースのプレゼントとして一般的だったのです。

パンの原材料である小麦や大麦、ライ麦は収穫が難しく、現代の10分の1程度の収穫率だったといいます。
せっかく種をまいて育てても、その大半を来年播種するために残さなければならず、人々の食べられる量はごく僅かでした。

そのため、パンをほどこしとすることは第一の徳だと考えられるようになり、パンをほどこした人は聖人としてあがめられていたのでしょう。

このような影響もあり、ヨーロッパの各地修道院ではパンがほどこしとして貧困者に配られるようになりました。

この日常的なほどこし以外にも、貧困層にパンが配られる機会がありました。
それは、死者の日と葬式のときです。
死者の日とは、キリスト教における11月1日の万聖節や11月2日の万霊節のことです。

キリスト教では、この世で行われる善行は、天国に行く前の清めの場における死者を救済すると考えられています。
つまり、パンを配るという善行は、清めの場にいる今は亡き身内などの立場を救うのです。
そのような考え方から、葬式で貧困者にパンをほどこしとして配るという行為を教会は推奨するようになりました。